2008年03月15日 03:54 (日記)

 ご無沙汰のJOYH-TVですけれども。
ところで、みんな自分がリアルな世界にいると思っているけれど……、実はこの世界は、プログラムだ。つくりものなのだ。より高い位置に世界がある。僕はこの日記をご無沙汰しているあいだ、いまいるこの世界からそちら側へとシフトしていた。そう考えてもらってよい。
 その世界に行く方法はいろいろあるが、もっとも知られた手段は寝ることだ。われわれは寝ているあいだだけ、このプログラムされた世界を抜け出して上位世界にアクセス、わかりやすく表現すればログアウト、している。そこでの体験はほとんど記憶されないけれど、ほんのすこしだけ、夢というかたちで、こちらの世界に持って帰ることができる。もっとも夢というのは、身体の具合だとか、目覚めるタイミングがまずいだけで途端に忘れてしまうデリケートなデータで、それは僕らの脳みそのしくみが悪いのと、文字通り世界がちがう以上、すべてを記憶して理解することが不可能だからだ。仕方のないことだ。
 下位世界から上位世界を完全に理解することはできない。だって下位世界は上位世界にすっかり内包されていて、上位世界の複雑性のほんの一部を用いてつくられているからだ。上位世界は一足す一を三にも四にもすることができる可変性をもつ。単一の原因から無限の結果が生じうるし、現に生まれている。「一足す一が三」の世界と「一足す一が四」の世界がとなり同士共存しているのだ。たとえば僕が電車にひかれても死なない世界だとか、いままで行ったいろんな場所が融合した世界だとか、ぼくたち下位世界の住人からは想像もつかない理屈原理をたくさん持っている。夢を理不尽とおもうのはそのためなのだ。
 夢は記憶から編み出るというが、順序が逆で、ぼくらから見た夢のなかこそ真なるもの。この世界はその影で、ならばヒトの脳内は双方をつなぐ窓口だろうか。ともあれこの下位世界は一足す一が三や四や、あるいは百というように絶えず可変するなかで、偶然二の値が成りたった瞬間を固着したものだ。たとえば万華鏡をある一点で固定したようすを想像するとよい。実際はもっと複雑だけども。要するに、この世界は上位世界がもつバリエーションの一つだけをアクティブ化した恣意的なモノといえる。いったいだれが神の万華鏡を据えつけたのか。そもそも万華鏡を作った存在はなにか。一切合財知らされていないのである。わからないままヒトは夢をみては、彼方と此方を行き来しているのだ。しているのだったら(いがらしみきお)。